東広島市議会 2017-06-15 06月15日-05号
そしてまた、学歴偏重の弊害は大学のレベルの低下にとどまらず、幼児期から高校卒業までの子どもの教育環境に大きな影響をもたらしていると思っておるところでございます。それは、教育そのものの目的が偏差値教育に著しく重点を置くものとなっており、子ども一人一人が本来持っている才能や可能性を伸ばす教育環境になっていないということであります。
そしてまた、学歴偏重の弊害は大学のレベルの低下にとどまらず、幼児期から高校卒業までの子どもの教育環境に大きな影響をもたらしていると思っておるところでございます。それは、教育そのものの目的が偏差値教育に著しく重点を置くものとなっており、子ども一人一人が本来持っている才能や可能性を伸ばす教育環境になっていないということであります。
受験戦争の激化、学歴偏重、これもGHQが仕組んだシステムの結果だと思っておりますが、これがもたらしたのは知識だけを詰め込むという詰め込み教育であったと思っております。しかし、現在社会においては、知識だけ無秩序に記憶していてもほとんど何の役にも立たないということは、皆様御承知のとおりであります。
戦後、日本の教育は、学力偏重、学歴偏重に走り過ぎた嫌いがあります。そして、人としての基本的生活態度はおろそかであっても、勉強さえできればいい、テストの点さえよければいいとばかりに塾に通わせ、知識を詰め込む教育がされてきたのもまた事実であります。
特に成績偏重、学歴偏重みたような風潮がずっとあった。そういう中で、子どもが、本当は人間の価値っていうのは決して一面的なもんじゃないんだということについて、本来みんな認識しなきゃいけない。算数ができるのも木登りが上手なのも、実は同じ価値なんだと、私は本当にそう思ってるんです。 これは、しかしそれがだれかがそうしたというものじゃないと私は思います。
特に成績偏重、学歴偏重みたような風潮がずっとあった。そういう中で、子どもが、本当は人間の価値っていうのは決して一面的なもんじゃないんだということについて、本来みんな認識しなきゃいけない。算数ができるのも木登りが上手なのも、実は同じ価値なんだと、私は本当にそう思ってるんです。 これは、しかしそれがだれかがそうしたというものじゃないと私は思います。
採用選考のあり方を初めとして企業や社会の情勢は学歴偏重から人物本位,能力本位へと移行しております。このような変化に対応し,広島市立の高等学校,とりわけ専門高校においては,高等学校就職支援教員,ジョブ・サポート・ティーチャーを配置し,よりきめ細かな取り組みをしていると聞いています。こうした取り組みも含め,就職指導の改善,充実のあり方についてどのように考えているのか伺います。
最近は、昭和50年代後半の荒れた学校時代に比較すれば、学校の校内暴力や暴走族への参加などの問題行動がやや沈静化しておりますが、学歴偏重の現代社会において、人生の中で最も傷つきやすい時期に家庭内暴力、虐待等で不良、落ちこぼれというマイナスのレッテルを張られ、どうすることもできない疎外感を味わいながら、その不満を非行という行為で発散せざるを得ない少年。
これらの問題行動の背景には,物質的豊かさの影響を受け,物を大切にする心や欲しいものを我慢する心が育ちにくくなっていたり,画一的な知識偏重の教育,学歴偏重による受験競争の過熱化が子どもたちからゆとりの時間を奪ってきていること,また価値観の多様化や情報のはんらんにより,何が正しくて何が正しくないのかという判断がしにくくなっていることなどが考えられます。
こうした背景には、成績重視や学歴偏重の教育や社会にも重大な責任があるものと思いますが、何よりも教育が本来目指すべき心豊かな人格形成のための教育が、余りにもおろそかにされてきたことによるものと強く感じております。
今までの学校教育を見ると,ともすると社会の風潮,学歴偏重主義,エリート意識に惑わされて,教えること,知識をつけさせることに親も学校サイドも重視し,育てること,人間として望ましい姿に変化させ,価値を創造させる活動は軽視されていたように思われます。 このたび文部省が打ち出しました新しい学習指導要領は,平成元年から始まった第3の教育改革の完結編とも言われております。
戦後の学歴偏重,管理型教育が行き詰まり,学級崩壊,いじめ,不登校の増加など,従来の学校制度の根本から問い直しを迫る事象がさまざまな形で起こっております。 アメリカのジョン・デューイは,教育の本来の目的について,それぞれ持って生まれた個性を最大限に生かし,幸福な人生を生きるための道を見つけさせることにあると言います。
子どもたちがこうした事件を起こす背景につきましては、物とか、また金などの物質的な価値を優先し、もっぱら利便性や効率性を重視する風潮、社会全体のことよりも個人の利害、得失を優先する風潮など大人社会全体のモラルの欠落が顕著になってきているというふうに思うわけで、こうした一連の流れに関連して、学歴偏重の競争社会の中で、子どもたちはまさにさまざまなストレスを受け、これが悲惨な事件につながってきておると申してもいいんではないかと
不登校の背景は、児童・生徒を取り巻く家庭や地域の教育力が低下している中で、たくましく健やかに成長する教育基盤が脆弱になっていることや、社会において学歴偏重等受験戦争の風潮などが学校や保護者に不安を与えたり、それらが日常生活の中で児童・生徒の自身にプレッシャーやストレスを与え、将来の不安感を感じさせ学習への意欲や将来への希望を失わせていることなど、学校、家庭、地域社会のそれぞれの要因が複雑に絡み合っていると
今回の改革が決して学歴偏重や詰め込み教育に拍車をかけることのないよう,自由奔放に夢や希望,現実との矛盾など,もっと多感な期間を創造していかなくてはなりません。そのために,中高一貫教育も検討されているところでもあります。
このことは子供社会へも影響を及ぼし、高学歴偏重社会、過度の受験競争、塾通い等により、本来伸び伸びと成長すべき子供の心からもゆとりを奪い取ってしまいました。その結果が、昨今の青少年非行、問題行動、事件につながったと言っても決して過言ではないでしょう。私たちは、今こそこの教育改革の中で子供たちにゆとりを取り戻し、生きる力をはぐくんでやらなければなりません。
1つ,教育の過程において他人を思いやる教育,人の痛みを知る教育を実践することであり,そのためにはまず何よりも教員の資質向上を図るとともに,学歴偏重ではなく,高い経験を積まれた方々を教師として積極的に採用し教育の充実を図り,また現場における教師の研修を推進,充実することが最も大切であると思考いたしますが,この点について市長のお考えをお示しください。
また、学歴偏重の社会的風潮の傾向を改め、広く社会が生涯教育の理念に立脚をして、人々の生涯にわたる自己向上の努力を評価する学習社会を強調をしておるわけであります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 意見書案第33号 内閣総理大臣 大蔵大臣 あて 文部大臣 広島市議会議長名 義務教育費の国庫負担充実に関する意見書案 今日,小・中学校教育は,児童・生徒一人ひとりの個性や自主性の伸長,学歴偏重
今日のような学歴偏重の高校教育だけでなく,体育など個性を尊重し,能力を生かした教育の世界を開いていかなければならないと私は思うのであります。 教育長さんは,「現在は高校生の急増期であり,高い普通科志向の中でその受け入れに努力をしている。
さて,普通科高校の増設が強く要望される当節ではございますが,やがては高校生の減少期が到来をいたしますので,施設にも遊びが出ましょうし,今日のような学歴偏重の高校教育は必ずや衰退するものと思われます。個性を尊重し,能力を生かした教育の世界が開けてくるであろうと思います。